日本の原風景として知られる、かやぶきの里。今ではその姿をひと目見ようと、日本各地に止まらず世界からも観光客が訪れます。
しかし、ほんの数十年前まで、かやぶきの里の名は知られていませんでした。
「まさか海外から観光のお客さまが来て下さるなんて、想像もしなかった」と当時を懐かしむのは、山里料理旅館いそべの磯部紀佐さん。
お父さんが始めた山里料理旅館いそべ(以下、いそべ)を2017年に任され、お客さまをお出迎えしています。
料理屋から料理旅館へ
清流を生かした米作り、酒造、山林を守る林業を家業としてきましたが、1977年に茅葺屋根の料理屋を始め、1987年に別館洗心亭を開店しました。
美山町の中心部に位置し、道の駅ふれあい広場のすぐそばにあります。家族や友人との水入らずの宿泊から、団体やビジネス利用まで幅広く受け入れてきました。
「いそべは、1977年に父と母が料理屋から始めたんです。美山らしい空間でお店をしたいと父が考え、本館の茅葺屋根は茅葺の家4軒分を移築。5年の歳月を費やして完成させたんです。1997年に私が美山に帰ってきた時にはかやぶきの里が今ほど有名になるとは思っていませんでしたけどね(笑)」
「父は自分で獲ってきた猪や山鳥、松茸を料理して出していました。地元の方にはその限りではありませんが、外からみえたお客さまには美山で採れたものを出すようにしていましたね」
その後、かやぶきの里が有名になり、観光客が増えたことから宿泊ニーズも増加。お客さまの要望に応える形で、本館(茅葺家屋)の貸し切りのご宿泊、別館は公共事業のご宿泊から四季の料理を楽しんでいただける宿になったそう。
「本館はお食事に来られたお客様がお風呂にも入っていただけるようにお風呂も設けており、宿泊の許可も取っていましたので、比較的簡単にはじめることができました」
四季折々の食材を使った絶品料理
お食事処や旅館を見渡すと、随所にお父さんのセンスの良さが感じられます。お父さんが獲った鹿や猪の剥製。美山の天然石を使った石畳や石の階段、石垣。美山の天然木を用いたテーブルや椅子、カウンター。そしてテーブル席には、おじいさんがされていた造り酒屋時代の樽や酒袋をあしらっており、細部まで美山のもので作り上げようとしたこだわりが伺えます。
美山で育まれた本物の空間でいただく美山の料理は、それはもう絶品でしょう。旅館の看板にもなっている山里料理を求めていそべを訪れるお客さまも多いそう。
「春は山菜ですね。自分で採りに行くこともあれば、近所の方がお裾分けをしてくれることも。料理にふんだんに使いながら、年中出せるよう真空パックにもしています。夏は鮎。釣師さんが由良川で釣ったアユを旅館の生簀に入れてもらい、調理寸前に生簀から鮎をあげ新鮮なものを提供しています。美山の鮎はこちらが驚くほど人気がありますね」
「秋は松茸です。当館所有の松茸山で採る100%地物の松茸をご提供しています。父と一緒に二十歳の頃から山へ入っていたので、松茸がどこに出るのかわかるんですよ。冬は牡丹鍋。以前は猟師の父が獲ってきた猪肉をお出ししていましたが、今は猟師の兄や父の猟師仲間から厳選して仕入れた猪肉をお出ししています」
どれも一度は食べてみたくなるほど美味しそう。四季折々のお料理を目的に、何度も足を運ぶ方もいます。
「『春に来て山菜が美味しかったから、次は別の季節に来ますね』とおっしゃってくれるお客さまもいます。季節が変わると料理も変わるので、何度も訪れてもらう楽しみになっていますね。鮎や松茸、牡丹鍋を目指して、毎年来てくれる方もいます」
宿泊をする場合、1泊2食付きのプランを利用する人が多いですが、4月から11月はお食事処で四季のお料理がカジュアルに味わえます。夏は京地鶏の親子丼や鮎丼、鮎の塩焼きなどをランチ提供しています。なかでも鮎丼は、お父さんの代からの人気メニュー。
「簡単に言うと、鰻丼のアユ版です。生きたアユを素焼きにして、甘タレを漬けてご飯に載せます。シンプルだけど美山のほんまもんを出しているので喜ばれますね」
地元に受け継がれてきた味を次の世代へ
今では食材の調達から料理、サービスまでを担う磯部さん。しかし、元々は家業を継ぐ予定もなく、美山のことも好きではなかったそう。
「私が若かった頃は茅葺も注目されていなくて、来られるお客さまも地元の方が中心でした。でも母の病気で帰ってきてほしいと言われて。最初は短大卒業後に2年だけの約束だったんですが、気づけば25年が経ちました(笑)」
それは、暮らすうちに美山の良さを再認識したから。
「新緑や紅葉ってこんな綺麗やったんやって思うようになったり。子どもの頃、自然に触れ合う機会がたくさんあったのは、地域の方が協力してくれていたからなんだと気づいたり」
「海外からお客さまが来て下さるようになって美山が観光地に変わったんだと思ったし、それを見て私も当たり前に感じていた美山の自然の豊かさに気づきました」
そんな磯部さんのさらなる転機となったのは、5年ほど前にお父さんが病気になったことを機に旅館を任されたこと。美山で、商売をやっていく、生きていく決心がついたと振り返ります。
「美山の暮らしや人との繋がりを、以前よりも大切に思うようになりました。地元の方に教えてもらったり自分で勉強したりしながら、ここを訪れた方に、美山のことをもっと伝えていけるようになりたいです」
今、考えているのは、地元の方に美山の食材を使った料理や文化を教えてもらうこと。
「たまにご近所さんがお手製の料理をお裾分けしてくれるんです。すると、こんな美味しい食べ方があるんやとか、こんな保存の仕方があるんやとか驚きと発見があるんですね。例えば、わらびもどこにでもある食材ですけど、あげに巻いて炊いたり卵とじにしたり、酢の物にしたりと色々な食べ方があります。そうやって学びながら、これまでもいそべの料理に取り入れてきました」
「昔ながらの作り方や家独自の知恵、技を知る機会があれば、私も勉強になりますしお客さまも喜んでくださる。古くからここにある文化を学んで、いそべで外から来たお客さまに出すことができたら、今よりももっと地元の人と繋がり、受け継がれてきたものを守っていくことができるはずです」
人が訪れるようになったことで、地元の良さを再発見することができた磯部さん。これからは今まで以上に、美山の食材を美山に受け継がれてきた食べ方で、お客さまを楽しませてくれることでしょう。
そんな営みの中に、一度訪れてみませんか。