観光の楽しみといえば食事、という人も多いのではないでしょうか。四季折々の食材を使った郷土料理は、脈々と受け継がれてきた歴史や文化、風土が重なり合って生まれた一品です。
美山では、夏の天然鮎や秋の松茸にはじまり、夏場の寒暖差と美山の自然林芦生の森から流れる清流の水で育ったお米、森の恵みである鹿や猪を使ったジビエ料理など、季節ごとの食材を楽しむことができます。
美山から都市部へ、再び美山へ
地元の高校卒業後は、大阪の調理専門学校へ進学。専攻は和食ではなく、なんとフランス・イタリア料理でした。
「家が和食なので、違う方がいいかなって。食材が同じでも、調理法が違えば何か新しい発見があるんじゃないかと思ったんです」
卒業後は、そのまま兵庫県西宮市のレストランに就職。その後結婚、長女を出産後は子育てに専念し、マンモス団地で暮らしていました。しかし数年後、転機が訪れます。
「長女が3歳になる頃だったかな、周りのお母さんたちが教育熱心で幼稚園選びや習い事、塾の話が増えてきました。でも、幼い頃から、詰め込むのがいいのだろうかって疑問に思って」
根っこにあったのは、加地さん自身が美山の自然の中で育った原体験です。
美山の食材をもっと気軽に味わえるように
加地さんは26歳で美山にUターン。子育てをしながら、人手が足りなくなった家業を手伝うことにしました。
枕川楼の食事付き宿泊プランを見ると、春の「山菜会席プラン」や夏の「天然鮎会席」、秋の「松茸会席」、冬の「ぼたん鍋」といった季節限定のプランに加え、通年の「京地どりすきやきプラン」「霜降り黒毛和牛すきやきプラン」など、美山の食材を贅沢に使った料理がずらり。
実はこうしたメニュー構成や昼営業は、加地さんが働くようになってから変えたものだそう。
「一昔前は会席料理と鍋だけでした。もっと気軽に美山の食材を食べてもらえるようにしたいと、ランチでも鹿料理を食べられるようにしたり、丼ものやお蕎麦を出したりするようにしました」
「私が中高生の頃、今ほどジビエは食べられていませんでした。美山の人も家では食べますが、お客さんに出すことはほとんどしていなくて。でも、フレンチでは当たり前のように山の恵みをいただきます。地元に戻って、フレンチで使う食材って身近にあるやんって気づいたんですよね」
かつてジビエの食べ方といえば、BBQか猪鍋くらいだったそうですが、今では美山のあちこちでハンバーグやローストビーフ、すき焼きといった料理を見かけるようになりました。
それも、加地さんはじめ美山のジビエに可能性を感じた方が地道にその魅力を伝えてきたからでしょう。
美山の人が誇れるまちに
Uターンから15年。美山にしかないものを活かし、時には都市で学んだことを美山にも取り入れながら、加地さんは料理を通じて訪れる人々に美山の魅力を伝えてきました。ジェネレーションギャップや都市部との違い、家族で働く難しさなどもあり、苦労も多かったことでしょう。乗り越えられたのは加地さんの前向きさもさることながら、「子どもの存在が大きかった」と振り返ります。
一方、料理旅館としてお出迎えする子どもにとって、美山での遊びは一大イベント。だからこそお客さんと旅館スタッフの関係性に止まらず、美山の暮らしを一緒に楽しめるようなシーンを増やしていきたいと考えています。
「カブトムシが好きなお子さんがいたらプレゼントしますし、お母さんがお風呂に入っている間お子さんを見守ることもあるんですよ。地域の人と一緒に虫取りしたり川遊びをしたり、花火をしたりする、そんなシーンをもっと見られるようなおもてなしをしたいですね」
「当館に来られるお客様は、散歩をしたりお風呂に入ったりしてのんびり過ごす方が多いです。田舎で育ち、都市に出たおじいちゃん・おばあちゃん世代は、美山に来て『どこか懐かしい』と言ってくれます。もう自分の故郷はないのかもしれないけれど、ここで故郷を感じてもらえたら嬉しいです。都市がないと経済は動かないし、都市で暮らす人がいるから私たちも生きられる。都市部の人が美山に来て、明日からも頑張ろうと思ってもらえるような場所を残すために私たちは居るのかもしれません」
お客さんが笑顔になることが、巡り巡って地元の人が誇れる美山になると信じて。加地さんは、今日も都市から美山を訪れた人を出迎えます。